伝統こけしの殿堂 日本こけし館





こけしのもっとも古い生産地、鳴子。この地に日本こけし館が誕生したのは、昭和28年に詩人で童話作家の深沢 要さんのコレクションが鳴子町(現在の大崎市)に寄贈されたことと、昭和32年から毎年、全国の工人たちからこけし祭りへの奉納こけしが贈り続けられた事が、大きなきっかけとなりました。完成までに7年の歳月を費やし、昭和50年に開館。こけしをこよなく愛する人々の思いと夢が結実しました。
現在工人たちは全国各地に住み、それぞれの風土に溶け込みながらも、古来からの伝統を厳然と伝承しています。日本こけし館にはこのように広まった伝統こけしを一堂に集め、受け継がれてきた素朴な東北の心を、多くの方々に伝えたいと言う願いが込められています。


こけしの由来記


歴 史

江戸時代末期文化文政(1804〜1830年)の頃、椀や盆を挽く木地師達が温泉みやげ玩具として作り与えたものが始まりとされています。描彩様式は、張子人形・堤人形・芥子人形の影響を受けております。
幕末期(1860年)の記録によりますと人形と記されて、文化8年(1811年)には作られていました。


呼び名の由来

東北各地に伝わる土地人形の「こけし」は、地方によって「こげす」 「こうげし」 「こけすんぼこ」 「きぼこ」 「でこ」 「でく」などと様々な名称で呼ばれてきました。最古のこけし関連文献「岩松直助文書」には「人形」と記され、一方「橋長蔵文書」には「こふけし」と記されておりましたがこのこけしの話をする時、あるいは、こけしを買い求める方々が注文をする時、意味が通じなかったために、蒐集家・こけし工人・関係者が集い昭和15年「こけし」とひらがな3文字に統一されました。広辞苑には「子芥子」とありますが、これはこけしの頭の形が芥子の実の形に類似している所からと思われます。


お祝人形

幕末期の記録「橋長蔵文書」(1862年)によると「こふけし(こうけし)」(子授けし)と記されており、子供が授かるというお祝いの意味、またこけしの頭に描かれている模様「水引手」は京都の「御所人形」に於いて、特にお祝い人形の為に創案された、描彩様式であることから、こけしは子供の健康な成長を願うお祝い人形なのです。